Basic Theme

'the concept of freedom and its signs'

Actual Theme

'the approach in relation to the "territory" '

'the approach in relation to the form of the artist'

Three Fundamental Works for Two Actual Themes

> Around Your Eyes

> JYUNZOU

> unlimited freedom

 

 

Mobile Life
performance/installation, 2007, at the MAU degree show, Tokyo

この作品は展示会場に私の部屋にあるもの全てを、そっくりそのままの形で移動させ、そこで展示期間中、普段と同じように生活するというパフォーマンス/インスタレーションです。
会場の構成は下の画像の通り。



ねらい

この作品では、日常の暮らしの中で私と私の部屋が関係する仕方を一つの「領域」として捉えている。その「領域」の規定性によって部屋の物は選択、配置され独特の(ちらかった)”私の部屋”を作り出している。その部屋(の物の配置)は単一の主体としての私が作り出したと言うよりも「領域」内での規定性に従った物理的現象として捉えることが出来ると考える。つまり”私の部屋”を作り出した主体なるものはここでは存在しないということになる。

普段の暮らしの中で私と私の部屋との関わりによって生まれる「領域」、その痕跡はサイト化された記録画像によって見ることが出来る。そしてその「領域」が、展示会場という公共の場に部屋と私が移築されたことで浸食、解体されて、そこにあらたな「領域」が発生する。私と部屋が生み出す個人的な「領域」、展示会場に移築された部屋とその中で暮らす私が生み出す新たな「領域」、鑑賞者を含めた展示空間全体が生む「領域」、また会場が大学の教室であるという事実によって気付かされる学校というものが生み出す「領域」、そしてそれらに加えてこの会場にテントを設置し、その中で睡眠、休憩、夜間のトイレなど鑑賞者に対して非公開な行為を行うことで、そこに制作者としての私と作品、展示という制度との間にさらに別の「領域」が生まれることになる。それら複数の「領域」の存在と、それらが相互に非接触的であり、混ざり合うことのないものであり、同時並列的な在り方をしているということに気付くことがこの作品の一つのテーマである。また私自身の生活を展示の一部とすることは〈受動的作者〉と〈積極的作者〉とに分裂する不確定な作者の主体を表し、さらに展示時間外に作品を延長してゆくこと(テント内での夜の生活)は展示空間の閉塞性を解放し、展示や美術というものの制度性を問う試みでもある。

 

>> My Room Data

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The Hit Song Live
performance, 2006, at Traversing Territories Event, London and Nottingham


この作品はイギリスのロンドンとノッティンガムで行ったパフォーマンスである。
あらかじめランダムに並べて編集した日本とイギリスの2006年2月第三週のヒットソングの映像のみを会場のスクリーンに映し出して、その映像の前で外界と遮断するためのマスクをかぶった私とイギリス人のパフォーマーが(パフォーマーは会場にいた観客の中からお願いして引き受けてもらった)ヘッドフォンから聞こえるそれらの曲を、耳で聞いたまま声に出して繰り返すということを行った。


ねらい

この作品の一つの特徴は、観客とパフォーマーがパフォーマーの視覚と聴覚を遮断することで分断されているということである。そうすることで観客とパフォーマーの相互作用が不可能となる。それは鑑賞者に視線の自由を与えることを意味し、複数の「領域」の分断性を強調するために有効となる。私はライブパフォーマンスという表現形式の一つの問題点は鑑賞者が作者、パフォーマーが主導する「領域」に半ば強制的に所属させられ、視線の自由を知らず知らずの内に制限されていることだと考える。この作品ではパフォーマンスの行われる場をより開かれたものにしたいと考えた。

二人のパフォーマーはヘッドフォンから聞こえる曲の音声との間でそれぞれが別々の「領域」に属している一方、観客は彼らの発する不正確な声として現れる曲の痕跡とそのバックに映し出される映像とを関連づけて、一体のものとして認識する。本来関わりのない別々の「領域」に属する声、身体の動きといったパフォーマーの行為が観客の視点を通して生まれる新たな「領域」内において結びつけられその一部となる。ここに複数「領域」の分断性が露になる。この作品では、ある視点、ある物語に内包される部分が、実際にはそれぞれに独自の「領域」をもって存在し、同時に幾つもの「領域」に分列しつつ存在するということを表している。また別のレベルでの領域性、つまり〈イギリスー日本〉〈英語ー日本語〉〈一般人ー芸能人〉〈映像ー身体〉〈記録ー生〉〈high culture-MASS culture〉といったものの間の横断と対比も意図として盛り込んでいる。

 

 

 

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Japanese
 
 
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